開化天皇|最後の欠史八代であり、物部氏系の娘を后に迎えた天皇

事実上の初代天皇・崇神天皇の父であり、有力豪族・物部氏の娘を皇后として迎えた第9代開花天皇。
欠史八代の8人目だったとされていますが、本当に実在していたのでしょうか?

第9代 開化天皇(かいか)

開化天皇【生没】 紀元前208年~紀元前98年
【在位】 紀元前158年~紀元前98年
【父】 孝元天皇(第2子)
【母】 欝色謎命(欝色雄命の妹)

開花天皇も生没と在位を見てみると、かなりの長寿だったことが分かります。
紀元前208年に生まれ、即位したのは紀元前158年、50歳の頃。
その後60年、天皇として政を行い、110歳になった紀元前98年に崩御されているのです。

【諡号】稚日本根子彦大日日天皇

  • 日本書紀・・・稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)
  • 古事記・・・若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと)

開化天皇の「開化」というのは、8世紀後半に活躍した淡海三船が奉った呼び名です。
元々は「大日日(おおひひ)」という日本古来の神だったのでは?という説もあり、実在していたかどうか不明な「欠史八代」説が有力とされてきました。

日本書紀上では開化天皇が即位したのは、孝元天皇22年1月14日のこと。
孝元天皇が崩御された57年9月2日から約2ヶ月後の11月12日に天皇として即位しました。
宮を春日率川宮(かすがのいざかわのみや)に遷宮されたのは翌年・開化天皇元年10月13日のこととされています。

これまでの天皇も有力な豪族との関わりが深いとされていましたが、開化天皇は豪族の物部氏の祖先にあたる「大綜麻杵命(おおへそきのみこと)」と関わりを深めています。
というのも、大綜麻杵命の娘である「伊香色謎命(いかがしこめのみこと)」を皇后としているのです。

歴史書などでも詳細なエピソードがないためにミステリアスな人物ではありますが、開化天皇の息子である彦坐王(日子坐王)という人物は、四道将軍として丹波に使わされています。

欠史八代最後の天皇

古来天皇で欠かせないのが「欠史八代(けっしはちだい)」です。
2代目から9代目までの天皇8人は、古事記にも日本書紀にも登場してはいるものの、功績や詳細エピソードがなく、実在したかどうか明確ではないとされています

【欠史八代とされる天皇】

  • 2代目:綏靖天皇
  • 3代目:安寧天皇
  • 4代目:懿徳天皇
  • 5代目:孝昭天皇
  • 6代目:孝安天皇
  • 7代目:孝霊天皇
  • 8代目:孝元天皇
  • 9代目:開化天皇

「天皇が実在したかどうか?」そう投げかけるのは、日本において大問題になりそうなテーマですよね。
最初に古代天皇の実在に疑問を呈した勇気ある学者は、津田左右吉(つだそうきち)という人物でした。
歴史学者であった津田左右吉は、欠史八代ではなく「欠史十三代」を提唱していました。

現在の有力説である欠史八代だけでなく、以下の人物も存在していなかったかもしれないと主張したのです。

  • 崇神天皇
  • 垂仁天皇
  • 景行天皇
  • 成務天皇
  • 仲哀天皇と神功皇后

当時の日本では前代未聞とされたこの津田氏の説は、不敬罪相当で提訴となり、1942年に有罪判決が下されました。
けれども第二次世界大戦を終えた日本では、瞬く間に主流説となったのです。

第二次世界大戦後から現在の中で、崇神天皇以降は実在したという説が有力となり、「欠史八代」説も有力とされています。

ただ、欠史八代の天皇も実在していたという説も根強く残っているのが現状です。

春日率川坂上陵

開化天皇が眠るのは奈良県奈良市油阪町にある春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)です。
墳丘の長さが100メートルにもなる巨大な前方後円墳で「念仏寺山古墳」とも呼ばれます。
念仏寺の墓地を作るために一部削られた部分もありましたが、幕末の頃に移転や修繕が施され、現在も形を残しています。