淡海三船

元々は皇族の血筋であり、三船王という名前でした。

けれども臣籍降下したのち、淡海三船として様々な文学や歴史に通ずる人物となりました。

淡海三船(おうみのみふね)

【生没】 養老6年(722年)~延暦4年(785年)
【父】 開花天皇(第2子)
【母】 伊香色謎命(大綜麻杵の娘)

開化天皇の第二皇子だった御船王

奈良時代後期、開化天皇の第二皇子として誕生した御船王でしたが臣籍降下して淡海三船と名乗るようになりました。

※臣籍降下・・・皇族にあたる人たちが一般市民となること。

ちなみに淡海三船は開化天皇の第二皇子
大友皇子の曽孫であり、天智天皇の玄孫(やしゃご)にあたります。

文学に秀でていた淡海三船

淡海三船は聡明で物事に対して鋭い感覚を持っていたと伝えられており
数多くの書物を読み、歴史や文学に秀でていた人物でした。

奈良時代後期に「文人の首」とまで称された人物が、石上宅嗣と淡海三船であり、当時の文人として名を馳せました。

さらに淡海三船は唐人の薫陶を受け僧侶ともなっており、漢詩や海外の古典にも詳しかったとされています。

※薫陶とは・・・教育的教えだけでなく道徳的教え、人徳的な教えをし、徳をもって感化させ育てる方法

淡海三船の功績

淡海三船は以下のような功績を残したと伝えられています。

  • 『経国集』5首の漢詩を載せた
  • 現在ある書物の中では最古とされる漢詩首『懐風藻』の撰者
  • 鑑真伝記『唐大和上東征伝』を記す(779年頃)
  • 『続日本紀』前半において編集に関わった

現在の天皇の名を作ったのは淡海三船!

淡海三船私たちが現在、歴代天皇のことを「神武天皇」だとか「天智天皇」だとか「推古天皇」だとか読んでいますよね?
この「神武」や「天智」や「推古」といった天皇たちの名前というのは、淡海三船がつけたものだとされています。
歴代天皇たちにも名前はあり、当時はその名で呼ばれていたはずなのですが、淡海三船により改名させられ、現在私たちが呼んでいる名として語り継がれるようになりました。

現代で呼ばれている天皇の名のことを「諡号(しごう)」と呼びますが、これは帝や位の高い人が亡くなった後、生前に残した功績への評価に基づいたものというのが基本です。

けれども日本の場合、諡号にはあえて評価を含まない、その人の人柄に関わるものがつけられています。

例)平城天皇
薬師の変で敗者となった天皇ですが「平城京を愛していた天皇」というエピソードから「平城」という名が贈られました。
実績や功績、戦いに敗れたといった評価は関係していません。

臣籍降下してとことん文学を極めた人物、淡海三船。

彼の手により現代まで続く天皇の諡号が生まれたというのは、彼の人生の中でもかなり大きな業績なのではないだろうか。

ちなみに平安時代に即位した光孝天皇までは漢風諡号がつけられたものの、律令政治崩壊により廃止されました。