孝霊天皇

欠史八代として第7代孝霊天皇の功績は詳細が全く不明となっています。
けれども、孝霊天皇の次男については、日本中の誰もが知るあのお方!?

第7代 孝霊天皇(こうれい)

【生没】 紀元前342年~紀元前215年
【在位】 紀元前290年~紀元前215年
【父】 孝安天皇(第2子)
【母】 押媛命(天足彦国押人命の娘)

【諡号】大日本根子彦太瓊天皇

孝霊天皇孝安天皇の息子として生まれた孝霊天皇は

  • 日本書紀・・・大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
  • 古事記・・・大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)

とそれぞれ呼び名が異なっています。

「孝霊」という名も、歴代天皇の名を撰進した淡海三船(おうみのみふね)によるものです。
歴代天皇の中でも「欠史八代」であり、詳しいエピソード等は残っておらず、ミステリアスな存在だとされています。
元々は「太瓊(ふとに)」という日本古来の神を崇め奉ったのが孝霊天皇では?という説もあるほど。
日本書紀ではこのような記述があります。

  • 孝安天皇102年1月9日に孝安天皇が崩御し、その年の12月4日に黒田廬戸宮(くろだのいおとのみや)にへと遷す
  • 孝霊天皇元年1月12日に即位

ちなみに孝霊天皇も生没と在位を見ると、かなりの長寿だったことが分かります。
即位したのは52歳!それから75年も天皇として政を行い、127歳で崩御なさっています。

息子が桃太郎で吉備を平定!?

孝霊天皇自身のエピソードはほとんありませんが、その息子は日本人なら誰もが知る人物のモデルとなっています。

孝霊天皇の息子・彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)。

彼は弟・稚武彦命(わかたけひこのみこと)とともに、犬飼武(いぬかいのたける)、楽楽森彦(ささもりひこ)、名方古世(なかたのこせ)という供を連れて吉備をはじめとする西海道を平定した人物であり、私たちは童話「桃太郎」としてその功績を幼い頃から聞かされます。
そうです、私たちが知る「桃太郎」は、孝霊天皇の息子だったのです。

童話では桃太郎となっていますが、日本書紀や古事記では「またの名を吉備津彦命(きびつひこのみこと)」という記載があります。

古事記・・・大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)
という表記もあり、若建吉備津日子命(わかたけきびつひこのみこと)と一緒に吉備平定に尽力したとされています。

日本書紀の一文には、地方平定のために朝廷から派遣された「四道将軍」が登場しますが、その四道将軍の一角が吉備津彦命です。

岡山県の吉備津神社。
ここは吉備津彦命を祀っている歴史古い神社として有名です。

後に天皇となる長兄・孝元天皇を、弟・稚武彦命とともにサポートした仲の良い兄弟で、吉備津彦命は吉備臣の祖になったとされています。

片丘馬坂陵

孝霊天皇の陵は、元禄に行われた調査により、片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)

現在の奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目の陵だと定められました。