斉明天皇

斉明天皇は元の名を宝女王(たからのひめみこ)。
そして第35代皇極天皇でもある女性です。
史上初の生前譲位をしていたはずの彼女が、なぜ再び天皇の座に就いたのでしょうか?

第37代 斉明天皇(さいめい)

斉明天皇【諡号】 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)
【諱】 宝女王(たからのひめみこ)
【生没】 594年~661年
【在位】 655年~661年
【父】 茅渟王
【母】 吉備姫王(欽明天皇の孫)
【陵】 越智崗上陵(奈良県高市郡高取町)

舒明天皇の皇后である宝女王は、夫の舒明天皇亡き後、皇位争いを防ぐために史上2人目となる女帝・皇極天皇として即位しました。

役目を終えて弟である孝徳天皇に譲位した後は、皇祖母尊という名で生活していました。
けれども孝徳天皇が病死すると、再び天皇として皇位に就く重祚(ちょうそ)が行われ、今度は斉明天皇として皇位に就きます。

けれども実際は皇太子・中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が政を仕切っていたとされているので、名目上の天皇という位置付けに過ぎなかったようです。

名ばかりの天皇という反動なのか、斉明天皇はとにかく土木建築に明け暮れました。
あちこちで工事をするよう命じ、国庫を使いまくり労役を課し続けたために、批判の声も上がったと記されています。

斉明天皇は朝鮮の百済と長く友好関係にありましたが、この時代に百済は唐・新羅の軍勢によって滅ぼされてしまいました。
斉明天皇は百済を救援するという名目で船や武器を作らせて九州まで軍を進めるも、九州を出立する前に神からの祟りによって崩御されたともされています。

失われた元号

孝徳天皇は日本で最初の元号である「大化」を制定し、次に「白雉」と改元しました。
しかし、孝徳天皇が崩御されてから後の天武天皇までの期間、新たな元号が立てられることはありませんでした。

越智崗上陵

斉明天皇・皇極天皇が眠るとされているのは遺跡名「車木ケンノウ古墳」、奈良県高市郡高取町大字車木にある越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)です。

この項目は皇極天皇の御陵情報と同様です。