安閑天皇

武道の実力が高かったことから、修験道の本尊である蔵王権現の化身とまで称された安閑天皇。
けれども即位の背景には、皇位継承をめぐる争いがあったのではないかとみられています。

第27代 安閑天皇(あんかん)

【諡号】 広国押武金日天皇(ひろくにおしたけかなひのすめらみこと)
【諱】 勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)
【生没】 466年~536年
【在位】 531年~536年
【父】 継体天皇(第1皇子)
【母】 目子媛(尾張連草香の娘)
【陵】 古市高屋丘陵(大阪府羽曳野市古市)

安閑天皇66歳の時、先代の継体天皇が譲位したことから即位した安閑天皇。
譲位を終えた継体天皇はその日のうちに息を引き取ったとされています。

けれども『百済本記』では、継体天皇崩御の際に皇太子や皇子も亡くなったという記述があり、継体天皇崩御から安閑天皇即位までは2年間の空位だった時代があるという説もあります。

このように様々な説が入り混じることから、継体天皇から安閑天皇が即位するまでには皇位継承に関する争いがあったのではないかともみられています。
そのほかにも安閑天皇・宣化天皇・欽明天皇と3代天皇は並立していたのではないか?ともされています。

幼少期から優れた器量を持ち合わせていたとされる安閑天皇。
武道に関しても優れていたとのエピソードがあり、その実力の高さから修験道の本尊・蔵王権現の化身とまで称されました。

明治時代に行われた神仏分離以降、蔵王権現ではなく安閑天皇が主祭神として祀られる神社もできました。

古市高屋丘陵

安閑天皇が眠るとされる御陵は、大阪府羽曳野市古市5丁目の古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)と、宮内庁から定められています。
遺跡名「高屋築山古墳」であるこの御陵はおよそ122mの前方後円墳となっています。