反正天皇

歴代天皇のプロフィールや史実を調べて行くと、とんでもなく長生きだったり身体に特徴があったりと驚くべき話が出てくるのですが、反正天皇も例に漏れず、驚きのエピソードが残されています。

もしも驚愕エピソードが真実だとしたら・・・人間の本当の歴史がとんでもないことになりますね。

第18代 反正天皇(はんぜい)

【諡号】 瑞歯別天皇(みずはわけのすめらみこと)
【生没】 351年~410年
【在位】 406年~410年
【父】 仁徳天皇(第3皇子)
【母】 磐之媛命(葛城襲津彦の娘)
【陵】 百舌鳥耳原北陵(大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町)

淡路と深い関わりがあった河内王権

反正天皇仁徳天皇を父にもち、履中天皇の弟でもあった反正天皇。
応神天皇から始まったとされる河内王権は淡路と深く関わりがあったようで、反正天皇は淡路島で誕生しています。

さらに応神天皇の娘には「淡路御原(あわじのみはら)」という名がつけられており、淡路で狩をしていたというエピソードも残されています。
仁徳天皇は淡路行幸のエピソードもあり、履中天皇と住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)による皇位争いも勃発していますが、淡路野島の漁師は住吉仲皇子側についていました。

反正天皇が皇位についていた時代は、日本書紀で「五穀みのり人民賑わいて天下泰平なり」と記されています。
これはいたって平和であったという証でしょう。

けれども具体的に反正天皇がどのような治世を行ったかは不明であり、ただその驚きの姿のみが伝わっています。

  • 生まれた時すでに歯が生えていた
  • 歯は30ミリもあり厚さが4ミリもあった
  • 上の歯も下の歯も綺麗に生えそろっていたことから「瑞歯別」という名前がついた
  • 成長すると身長がおよそ3メートルにもなった

これらのエピソードが本当だとすれば、天皇家は実は人間以上の何かだったのかもしれませんね。

生まれた時から驚きの姿をしていた反正天皇ですが、即位していたのはわずか4年で、60歳の若さで御崩御されています。

百舌鳥耳原北陵

宮内庁から反正天皇の御陵として定められているのは「百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)」。
「田出井山古墳」と呼ばれる遺跡で、大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁にあります。
およろ148mの前方後円墳となっています。