成務天皇|蘇我氏の始祖武内宿禰を側近の大臣に迎えた天皇

天皇支配を精力的に進めた景行天皇の第四皇子であり、第13代天皇に即位したのが成務天皇でした。
在位131年と言う驚くべき史実もあるため、実在していなかった人物なのではと言う見方もある天皇です。

第13代 成務天皇(せいむ)

成務天皇【諡号】 稚足彦天皇
【生没】  84年~90年
【在位】  131年~190年
【父】 景行天皇(第4皇子)
【母】 八坂入媛命(八坂入彦皇子の娘)
【陵】 狭城盾列池後陵(奈良県奈良市山陵町)

地方の豪族をことごとく討伐した景行天皇と比較すると、成務天皇は史実や情報がとても少なく天皇の中でも印象に残りにくいのが成務天皇の特徴と言えるでしょう。
しかし、天皇家の流れを調整するために創られた、実在していなかった天皇なのではないか?
という説もある人物なのです。

しかし成務天皇は現代まで繋がる日本の形の基盤を築いた人物であり、行政区画として「国・郡・県・邑」を設けています。
成務天皇の実績は「先代旧事本紀」でも「国造りの大半は成務天皇の時代にできた」とも記されているほどなんです。

天皇家が推し進めていた大和政権の基盤がどんどん整っていった時代でもあり、また成務天皇の大臣には武内宿禰(竹内宿禰とも)という蘇我氏の始祖が就き、政を進めた時代でもありました。

驚くべき伝説が残る武内宿禰

武内宿禰天皇支配を主とする大和政権の権力は、景行天皇の時代から一気に加速しました。
景行天皇の後を継いだ成務天皇は、中央における組織作りを急がねばならず、また支配下においた地方の統制も急を要するものでした。
けれどもあっという間に領土が広がってしまい、天皇だけでは支配しきれなくなってしまいました。
そこで登場したのが、蘇我氏の始祖である武内宿禰(たけのうちのすくね)でした。

成務天皇の大臣となった武内宿禰は大きな国も小さな国もとにかく国と国との境を決め、それぞれの土地に大県・小県の県主(あがたぬし)を配置しました。

政治的手腕に優れていた武内宿禰は大和政権初期において実力を発揮し、さらに驚くべきことに250歳前後まで長生きをして数多くの事績を築き上げたなんて伝説も残しているんです。

狭城盾列池後陵

成務天皇の眠る御陵に関しては、様々な説があったものの、元禄時代からは現在の奈良県奈良市山陵町にある「狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)」が御陵であると定められています。
幕末の頃に修陵・修治が行われ、慶応元年に広橋右衛門督が派遣されて竣工と奉幣が行われています。
墳丘の長さが218mもある前方後円墳で「佐紀石塚山古墳」という遺跡名になっています。